新刊速递丨島津氏と薩摩藩の歴史(PDF)島津氏と薩摩藩の歴史(PDF)
紹介
日本列島の西南端を拠点に、院政期から幕末まで長期にわたり権力を保ってきた島津氏。島津荘の成立から鎌倉・南北朝を経て戦国期にいたる動向を辿り、いかにして権力を形成したのかを論じる。さらに「薩摩藩国家」を形成し、幕末に長州藩と倒幕の一大勢力となった要因に迫り、島津氏と薩摩藩の政治・文化・社会の動きを通史的分析で明らかにする。
目次
はじめに一 島津氏と島津荘二 鎌倉・南北朝期の薩摩・大隅・諸県郡三 室町期の島津氏四 戦国期の島津氏五 薩摩藩の成立六 薩摩藩の文化と社会七 藩政改革八 対外情勢の激化九 京都をめぐる動向一〇 大政奉還へおわりに
著者プロフィール
五味 文彦 (ゴミ フミヒコ) (著/文)
1946年山梨県生れ。1970年東京大学大学院修士課程修了。神戸大学講師、お茶の水女子大学助教授、東京大学教授、放送大学教授を経て、現在、東京大学名誉教授・放送大学名誉教授。※2021年8月現在
【主要編著書】
『院政期社会の研究』(山川出版社、1984年)、『書物の中世史』(みすず書房、2003年)、『現代語訳吾妻鏡』全16巻・別巻1(共編、吉川弘文館、2007~2016年)、『文学で読む日本の歴史』5巻(山川出版社2020)
島津興業の社章は「丸十」、これは島津家の家紋としてあまりにも有名です。しかし、この丸十紋が島津家の家紋となったのは戦国時代の終わり頃からです。それ以前の家紋は十文字、「十」だけであり、ザビエルの手紙にも島津家当主が十字紋をつけていたことが書かれています。なぜ丸で囲まれたのか、理由ははっきりしませんが、殺伐とした時代が終わり平和になるにつれ、家紋にも装飾性が求められたからではないかといわれています。島津家は、源頼朝から島津荘の地頭職、薩摩・大隅・日向三ヶ国の守護職を与えられた惟宗忠久が、島津を姓としたことにはじまります。鎌倉時代から幕末維新期まで約700年間南九州を治めつづけ、今なお鹿児島の地で人々とともに在り続けています。激しい時代の波、苦難を乗り越え、今日まで島津家が繁栄してこられたのは、広大な海とそれに面した領域を支配する「海洋国家」だったということが最大の理由です。かつて島津氏が統治する南九州は、海外交易の拠点となっていました。江戸時代、幕府が鎖国令を出し、南九州は海外交易の拠点としての機能を失いましたが、島津氏は琉球王国を支配下に治めていたため、幕府公認のもと琉球王国と中国交易がおこなわれ、薩摩へも海外の物資・情報が流入し続けました。このため、異国情緒あふれ、先進的な文化・技術が育まれていたのです。このことが、南九州から「近代化」が進む大きな理由となっていきます。1840年代、日本の南端にあった薩摩藩は、他地域よりも早く東南アジア・中国から北上してきた西欧列強の外圧にさらされました。これに危機感を強めた28代斉彬は、「日本を西洋列強のような、強く豊かな国にしなければならない」と考え「集成館事業」という富国強兵・殖産興業政策を推進するとともに、西郷隆盛など明治維新の原動力となった若い人材を育成しました。薩摩藩は他地域に先駆けて近代化・工業化に取り組み、製鉄、紡績、ガラス製造など多くの事業が薩摩の地ではじめられ、そして飛躍的に進歩を遂げました。当時の日本は鎖国体制下にあったため、オランダの書物だけを参考に、西欧の知識と日本の技術を融合させて様々なものを造り上げるしか「西欧に対応する方法」がありませんでした。非常に苦労する手法でしたが、これがそれまで日本だけが、自力で近代化に成功することにつながったのです。残念なことに、斉彬は早くに亡くなってしまいましたが、彼の遺志を継承した29代忠義、その父・久光らの手で明治維新が成し遂げられました。『明治日本の産業革命遺産』として世界から認められる /2015年7月、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録されました。これは、19世紀に非西洋地域において、日本だけが短期間に近代化・工業化に成功していることが高く評価されたからです。鹿児島の構成資産「旧集成館」は、幕末に薩摩藩が取り組んだ「集成館事業」に関する近代化遺産で、当時日本最大、最新技術の工場群が、ここ鹿児島の地に存在していたのです。島津家には、歴代が築き上げたさまざまなものを、守り、伝える使命があります。その一つが、名勝仙巌園です。江戸時代初期の万治元年(1658)に、19代島津光久によって造られた島津家別邸。桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた壮大な景観は、国内に数ある大名庭園の中でも他に類をみないスケールの大きさです。庭の中央には御殿、幕末に島津斉彬がガス実験を行ったと伝わる衝灯籠や、琉球国王から贈られた中国風のあずまや「望楼楼」などがあり、見る人を圧倒します。さらに後苑部には、岩盤に文字を刻んだ「千尋巌」、「曲水の庭」「江南竹林」など中国文化の影響が随所に見られます。鎌倉時代から続く大名家・島津家ならではの年代行事もみどころのひとつです。この庭園は、今や鹿児島を代表する場所となっています。隣接する、博物館「尚古集成館」本館の建物は、慶応元年(1865)に竣工した日本最古の石造洋式機械工場「旧集成館機械工場」です。国の重要文化財であり、これが一帯が仙巌園の一部とともに世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産「旧集成館」に登録されています。館内には、大砲、琉球船模型、復古銅、薩摩焼、薩摩切子など、多彩な展示物が島津家の歴史を伝えます。島津家初代 惟宗忠久、島津荘の下司職に任命され、のちに島津姓と十文字の紋を拝領島津義久、大友氏を攻略し豊後府内に入城(領土最大期)薩摩興業株式会社設立(事業内容:鉱業、林業、不動産管理業など)集成館機械工場を博物館に改装し「尚古集成館」として開館「九州・山口の近代化産業遺産群」が世界文化遺産暫定リストに追加記載され、旧集成館および旧集成館機械工場が構成資産に旧集成館(集成館跡 仙巌園)明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業としてUNESCOの世界遺産リストに登録广 告 栏
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