文档内容
第10回
模擬試题
I.基礎知識(20点)
次の文章を読んで、1~20の問いに答えなさい。答之は選択肢[A][B][C][D]
から最も適切なものを1つ選びなさい。
私たち人間は誰でも、この世に生きていくとき、必ず何かをつくり出し、それ( 1)
自己を表現している。何かをつくるというと、普通手仕事や、でなけれほ工場劳働の
機械を使っての生産を、また自己を表現するというと、芸術家の仕事や、でなければ
趣味としてやっている俳句や短歌や陶芸など、そういったもの尤けを、人は考えがち
である。けれども、ここでいうのは、もっと広い意味でっくり出すことであり、表現
である。広い意味でいえば、およそ私たちは、何も作らず、何も表現せすに生きてい
くことはありえないし、生きて( 2 )ことはできない。
たとえば、極端な話だが、ここに、来る日も来る日も一日中自分の部屋に閉じこも
って、誰にも会わず、何もしない人がいたとする。この人は一見したところなにも作
らず、何も表現していないように見元る。尤が、( 3 )、そういう人は、何も作らず、
何も表現していないだろうか。必ずしもそうとはいえまい。なんとなれば、その人が
そのように( 4 )とき、そこに家族やまわりの人々との間にやはり一種独特の関係
をつくり出しているからである。
( 5 )このようなことになるのだろうか。思うにそれは、私たち人間の一人一人
が、この世に生きていくかぎり、すでになんらかの人間関係、社会関係の網のなかで、
同じことだがある一定の意味の場=文化のなかで生きているからである。
私たち一人一人は、( 6 )個人として在るのでないばかりか、单に集团の一員と
して在るのでもなくて、そのような意味をもった関係のなかにある、とこそいわなけ
ればならない。だからこそ、自分では社会や政治( 7 )まったく関心をもたなくと
!1/13も、私たちはそれらと無関係( 8 )いることはありえないことにもなるのである。
むろんそれは、物理的、自然的な関係ではなくて、意味的、価值的な関係である。そ
うした関係のなかでは、すべての態度、なにもしないことできえ、いわぼ一つの行為
になり、( 9 )の意味を带びてくる。
そのことを極めて鋭くとらえ、表しているのは、現代芸術である。たとえばある作
曲家は、ピア二ストに対して演奏会場のステージのピアノの前に徐ろに腰をかける本
2四分三十三秒間なにもしないままでいるように指示し、その間に開こえてく五自然
音( 10 )聴衆の耳を傾けさせて、それを『四分三十三秒』と名づけた。一風(有
点)変わったこの例が現代芸術( 11 )画期的な「作品」である上されるのも、そ
こにあるのが単なる奇抜な思いつきではなくて、それをこえたものだからであろう。
演奏会場という特定のものを生かして、つくることや表現することのなんたるかを、
根本から問いなおしたもの尤からであろう。
このように私たち人間にとって、( 12 )をつくり出したり表現することは、なん
ら特别のことではない。それは、生きるということ(13 )ほとんど同義語でさえ
ある。
(中村雄二郎「共通感覚論」より)
(1)~( 13 )に入れるのにもっとも適切なものはどれか。
1.[A] として [B] によって [C] に [D]で
2.[A]くる [B] いる [C] い< [D] きた
3.[A] わずかに [B] たしかに [C] いかにも [D]果たして
4.[A]振る舞う [B]行ら [C] できる [D] いう
5.[A] どうして [B] なぜか [C]本当に [D] こと
6.[A] たとえ [B] どれほど [C] ただ [D] たしか
7.[A] が [B] に [C] は [D]を
8.[A] に [B]と [C] が [D]で
9.[A] なにか [B] なんらか [C] なんとも [D] なんだか
10.[A] は [B] が [C] に [D] を
11.[A] にとって [B] において [C] にしたがって [D] によって
12.[A] なに [B] なんでも [C] なに电 [D] なにか
13.[A] と [B] も [C] を [D] に
14.文中の「かぎり」と同じ使い方のものはどれか。
[A] あいつが意地を張っている限りは、絶対にこっちも頭を下げないつもり尤。
2/13[B]練習しない限、上達もありえない。
[C]私が聞いている限しでは、全員時間通りに到達するということだ。
[D]難民たちは持てる限りの荷物を持って逃げてきた。
15.文中の「さえ」と違う使い方のものはどれか。
[A] あなたきえそばにいてくだされば、ほかには何もいりません。
[B] この本はわたしには難し過ぎます。何について書いてあるのかきえわかりま
せん。
[C] その小説はあまりにもおもしろくて、食事の時間きえもったいないと思った
ほどだった。
[D] あのころは授業料どころか家質きえ払えないほと貧しかった。
16.文中の「な夕」と同じ使い方のものはどれか。
[A]彼は妻の言うなしになっている。
[B] お辞儀をしたをし何も言わずに部屋を出て行った。
[C]家に帰る左り自分の部屋に閉じこもって出てこない。
[D] そんなに心配なら先生に相談するなりしてみてはどうですか。
17.文中の「てくる」と同じ使い方のものはどれか。
[A] 遅くなってごめんなさい。途中で本屋に寄ってきたものだから。
[B]頂上から戻ってくるのに1時間かかった。
[C] 17歳の時からずっとこの店で働いてきました。
[D]少しずっ霧が晴れて、山が見えてきた。
18.文中の「とされる(とする)」と同じ使い方のものは匕れか。
[A]何を言われても平然としている。
[B] それはそうとして、我々はどうしたらよいでしょうか。
[C]例えば、50人来る上して、会費は一人いくらぐらいにすれぼよいでし上うか。
[D]意見を言わない者は賛成しているもの上寸る。
19.文中の「極端」の読み方はとれか。
[A] ぎょくたん [B] きょくたん[C] ごくたん [D] ごくだん
20.文中の「独特」の読み方はとれか。
[A] とくとく [B] とくど< [C] とくとく [D] ど<ど<
! 3/13Ⅱ.読解(55点)
A.次の文章の [一][二][三][四] を読んで、21~40 の問いに答えなさい。答えは
選択肢[A][B][C][D] からもっとも適切なものを1つ選びなさい。
[-]
日本人には「自分自身をへりくだった(谦逊)言い方」をするのが一種の美徳とする
傾向があります。式典や宴席でのスピーチの出だし(开头)も、謙遜こそ美徳という信
念のもとに「私ごとき若輩者が…」とか「僭越ながら…」などと謙遜の決り文句から
始まります。で、これはこれで良いと思うのです。ヘりくだる意識というのは一步下
がるということで、自分自身を客観的に見なおすという意識が働きますから。また日
本人同士の社交的にも潤滑劑的な効果もあるでしょう。
ですが、上記のように「謙遜」として使う言葉はその実はほとんど謙遜などしてい
なく、言葉だけの決まり文句でしかないようです。政治家の答弁を見ていても「謙遜」
しているようで全然「謙遜」などしていないです。それどころか開き直って(翻脸)い
たりします。
さて、この謙遜の美学ですが、西洋文化圈では全く通用しません。日本では贈り物
をする時に「つまらないものですが…」と贈りますが、西洋でこんなことを言ったら
目を丸くして驚かれます。(了)。日本でもよく考えたらそうです。手土産に美味
しいお葉子を持っていったときなど(イ )なんて実におかしい。私なんかは美味
しいお葉子を持っていったときは、「これ美味しいんです。すぐ開けてみんなでいただ
きましょう!」と切り出します(开口说出)。実際自分で食べたいから買っていくんで
すが。
ところで「謙遜」が日本だけのものかというと、そんなことはないよらです。「謙遜」
は東洋文化圈が一番尊重し、続くは黒人の米国文化圈の人々も重んじています。さら
にアフリ力文化圈、回教文化圈の人々も「謙遜」を重んじている傾向にあります。し
かし西洋文化圈の場合は一転して「謙遜」を重んじないとするようです。
ヘりくだるというのは、一種の作戦で世渡りの智惠みたいなものです。まずはへり
くだっておけば間違いないし、相手の気持ちを傷つけずにすむだろうという無意識に
働く処世の智惠なのかもしれません。もちろん「謙遜」は人間の持っすぐれた特質の
ひとつであり、決して捨てることはできません。しかし時と場合によっては、その使
い方は改めなければならないことが多そうです。
21.文中の「これで良い」とはどういうことか。
4/13[A]謙遜こそ美徳という信念をもつこと
[B]「私二とき若輩者が…」とか「僭越ながら…」などの「謙遜」の言い方
[C]式典や宴席でのスピーチの出だしは謙遜の決り文句から始まること
[D]日本人には「自分自身をへりくだった言い方」をするのが一種の美徳とする
傾向があること
22.文中の( ア )に入る会話文として最も適当なものは次のどれか。
[A]「たぶんそんなつまらないものではない尤ろう。」
[B]「そんなつまらないもの、なんでくれるの。」
[C]「どんなつまらないものか。」
[D]「そんなつまらないもの、受け取りたくないよ。」
23.文中の( イ )に入る会話文として最も適当なものは次のどれか。
[A]「つまらないものですけど…」
[B]「おいしいものですけど…」
[C]「つまらないものですけど、おいしいですよ」
[D]「高くないものですけど、わぎわぎもってきて…」
24.文中の「そんなこと」とはどういうことか。
[A]「謙遜」が日本だけのものだということ
[B]「謙遜」が日本だけのものではないこと
[C]「謙遜」という美徳のこと
[D]「謙遜」という美徳がないこと
25.筆者の考え方とは違うのはどれか。
[A]「謙遜」として使う言葉は時々言葉だけの決まり文句にすぎないで寸。
[B]「謙遜」は東洋文化圈が一番尊重する美徳です。
[C]「謙遜」というのは、一種の作戦で世渡りの智惠みたいなものです。
[D]「謙遜」はすぐれた特質の一つですが、時と場合によっては、その使い方はし
ないほうがいいです。
[二]
意識や熱意がありさえすれば、次のように、わずかではあっても着実に向上す五と
私は考えている。
仮に人格を数字で表せるとして、ある親の人格が百であるとしよう。だがわが子の
ためにと努力すれは、その人格は百五くらいにはなるだろう。すでに大きく伸びる可
能性は失われていても、その程度の向上の余地は残っているはずである。
5/13現に、努力したときとしないときとでは、善行の質も量もかなり違ってくることは、
多くの人が経験しているだろう。努力したときは多少なりとも心は清らかになり、向
上しているのである。その向上した心のレベルを日常生活でできるだけ維持するよう
に心がけるのである。
ところが、子供はその親のありさまを見て、百五のレベルを自然に身につけること
になる。親が努力しなければ到達できなかった百五のレベルをその子は自然に維持で
きる人間になるのである。するとその子が親になったとき、自分の人格を百十に向上
させて教育にあたり、自分の子に百十のレベルを身につけさせることができる。これ
を繰り返せば、世代ごとに徐々に人格は向上するはずである。
もちろん百五のレベルは偽善であっては意味がない。偽善は必ずどこかで术口(弱
点)を出すものだ。すると子供はそれを吸収して偽善者に育ってしまう。また、親が
無理な努力をするのもよくないだろう。子供がどこかしら不自然な人間になってしま
う恐れがあるからだ。やはり百五は真面目で自然な努力の結果でなければならないだ
ろう。自分相応のべースで着実に進めていきたいものである。
社会を変えるのが私たち一代でできることではないように、人格づくりも、少なく
とも普通の人間である私たちにとっては、何代もかかる大仕事のようである。あせっ
てもしかたがないし、投げ出せる(放弃)ようなことでもない。
(荻野誠人「心の幼見教育」より)
26.文中には「着実に向上する」とあるが、何が着実に向上するか。
[A]子供の教育のこと [B]社会を変えること
[C]人格のこと [D]善行の質と量のこと
27.文中の「その程度」とはどのような程度か。
[A]百の程度 [B]五の程度 [C]百五の程度 [D]百十の程度
28.ここの「それ」は何を指すか。
[A]百五のレベ儿[B]術口 [C]偽善 [D]親の人格
29.この文章の内容に合わないものはどれか。
[A] ある親の人格が百である場合、わが子のためにと努力しても、大きく伸びる
可能性もないのである。
[B]努力する場合、その向上した心のレベルを日常生活でできるだけ維持するよ
うに心がけるのである。
[C]親の人格が百五の場合、その子は努力しなくても、自然に百五のレベルを維
持できるのである。
[D]子供は努力しなければ、親のありさまを見るだけで親のレベルを維持するこ
! 6/13とができないのである。
30.筆者はこの文章で何が言いたいのか。
[A]意識や熱意がありさえすれば、人格づくりはわずかであっても着実に向上す
る。
[B]社会を变えるのが私たち一代でできることではない。
[C]人格づくりも、少なくとも普通の人間である私たちにとっては、何代もかか
る大仕事のようである。
[D]人格づくりは、あせってもしかたがないし、投げ出せるようなことでもない。
[三]
お金は「行為」と交換するものである。我々は何かの行為と引き换えにお金を得る。
お金を払う側が望むことをお金をもらう側がやるわけである。稼い尤お金は、自分が
してもらいたいことを他人にやらせるために使う。誰かがしてもらいたがっているこ
とをやってお金を稼ぎ、自分がしてもらいたいことを誰かにやらせてお金を使うと元
通りお金が無くなる。しかし、そのサイクル(周期)には「自分のやりたいことをやる」
という状態がない。
お金をやりとりするサイクルの中で無理に「自分のやりたいこと」を作ろうとする
と「自分のやりたいことは金儲けだ」ということになってしまう。金儲けがやりたい
人が儲けたお金で何がやりたいのかは不明だ。他人の望むことをやってお金を稼ぎ、
他人にやってもらいたいことも自分でやったりするとお金が貯まる。でも、いくらお
金があってもお金を使ってできるのは「他人に何かやらせる」ことであって、それは
自分のやりたいことをやるのとは違う。自分のやりたいことをやるために必要なのは
お金ではなく時間である。
お金を稼ぐのにも時間が必要である。働いてお金を稼いでたくさん貯金ができたと
したら、その人は一日の大部分の時間を働いて過しているはずである。自分のやりた
いことはせずに他人の望むことばかりやってるわけである。それはシンドイ(辛苦)こ
となので、代償が必要になってくる。その人はお金は十分に持っているが時間は無い
ので短時間で济む代償を求める。そういう場合手っ取り早い(简单)のはモノを買うこ
とである。モノを買うというのは他人にそれを「作らせて、運ばせて、説明させる」
ことで、それと引き換えにお金を払うの尤。
やりたいことをやらずに時間を節約してお金を稼いだとする。そのお金をモノやサ
ービスを買うことに使ってしまったら、また初めに戻ってやりたいことをやらずにお
金を稼がなくてはならない。つまり、モノを買い過ぎることは「自分のやりたいこと
7/13を放棄する」ことに繫がるわけである。そうならないためには、買ら前に色々想像し
たり、買ったモノを使ったりすることにじっくりと時間をかける必要がある。そうす
ると、限られた時間の中では買うべきモノも少なくなるのでお金を使い尽くさなくて
も济む。どれだけゆっくりとお金を使うことができるかが勝負だ。
ゆっくりお金を使うのには想像力と技能がいる。それらが不足していると退屈する。
退屈になるというのは、自由な時間があるのに使い方が分からないということだ。そ
ういう人が退屈から逃れるにはモノを買うのがてっとり早いのでお金がかかる。退屈
から逃れるのにはお金がかかるから、お金を稼ぎたい。お金を稼ぐのに時間をとられ
るから、やりたいことをやる暇がない..?もともと時間はあるの尤から、それはやり
たいことをやる暇がないんじゃなくて、やりたいことが分からないだけだ。やりたい
ことがあれぼやりたいことに時間を使うから退屈なんかしない。時間を使うというの
は、お金を使わないということである。なんでそうなるのかというと、時間を使うの
は自分のやりたいことをやるということで、お金を使うというのは他人にやらせると
いうことだから、時間を使うのとお金を使うのは反対のことだからだ。
(「時間の使い方」より)
31.文中の「それ」は何を指すか。
[A] モノ [B]他人
[C] モノを買う人 [D]時間を持っている人
32.文中の「代償」とは何の代償か。
[A] お金を稼いで貯金ばかりすること
[B]自分のやりたいことばかりやること
[C]誰かがしてもらいたがっていることばかりやること
[D]自分がしてもらいたいことばかり誰かにやらせること
33.文中に「また初めに戻って」とあるが、どういう意味か。
[A]時間がなくなる。 [B] お金がなくなる。
[C] お金も時間もなくなる。 [D] やりたいことがなくなる。
34.文中に「そうならない」とあるが、どういう意味か。
[A] モノを買い過ぎない。 [B]自分のやりたいことを放棄しない。
[C] お金は稼げない。 [D]時間を無駄にしない。
35.本文の筆者の考えに合わないのはどれか。
[A] もともと時間のある人はやりたいことが分からない人尤。
[B] お金を持っている人は自分のやりたいことをせずに他人の望むことばかりや
ってる。
8/13[C] ゆっくりとお金が使える技能のある人はあまり時間がかからない。
[D]自分のやりたいことは金儲けだという人はお金と時間との矛盾もなくなる。
[四]
私の若いときは、学費·生活費にさしつかえる(拿不出)家もたくさんあって、気の
毒な学生もいた。私は割合に(比较地)惠まれた学生生活をしていたので、弁当なしに
なることはなかったのだが、いわぼ自分のわがままというべきものから、弁当なしを
経験した。つまり朝早く起きられないのである。弁当をつめる(装满)だけの、時間の
余裕をみて起きることができなかった結果なのである。学校と私の家との距離は遠<
て、一時間半はかかる。八時はじまりだったので、学校に間に合うには、六時半に家
を出ねばならず、したがってその間に食事を作って弟にも食べさせ、弁当をつめてや
り、自分も身づくろい(收拾好)などをすれば、どんなに手早くしても五時半には起き
ることになる。その五時半が辛いのだった。
母親が病気もちの弱い体で、女手は私一人ときては、いきおい(自然)登校前の家事
雑用がかかってくる。とにもかくにも(无论如何)、弟には是非お弁当を持たせようと
思う気持ちがあるので、二れは無理にもこしらえる(逞強)が、自分はお晝女きの空腹
のほうが遅刻よりもまだしも(还好些)である。父母は私の体力と労働力を信じている
から、弁当なしのことなどてんで気がついていないが、私は実はその信用をうらぎっ
て、眠さに負けていたし、しばしば弁当抜きをくりかえしていた。
そんなことは友だちには知られたくないし、十二時になると校庭へ抜けて行く私に、
「どうしたの?」と案じてくれる人へは、いい加減に嘘をとりつくろら(编造谎言)。友
尤ちを偽る(欺骗)ことはできても、簡単に偽れないのはおなかの虫だった。この虫は
ぐうと鳴き、きゅうと訴えて、私の不届を暴露しようとする正直な虫なのである。嘘
をつけば自然と意地っ張り(硬撑)になるものらしい。私は腹の虫に抵抗して、ますま
す腑甲斐ない(不中用地)弁当なしをとりつくろう意地を張った。
伸子さんという人がいた。つねに一緒にいるというほどの特别な仲良しではなかっ
たが、気持ちのいい人だった。「どうしたの?」と訊いてくれた。私は例のとおり、之
そ返事をする。
「そんなら食べないほうがいいわね。」と素直である。私は簡単にだまされた伸子さ
んを、ち上っと滑稽に思った。
すると、その後しばらくして、「(了)」と言う。私は例のとおり。
「私のお弁当、決してお腹にさわらない(不伤害)お弁当なの。いっしょに半分ずつ
食べない?
9/13「だって食べたくないもの。」
「それがね、ちょっと食べればもっと食べたくなるお弁当なのよ。」
何度押し問答しても、伸子さんはいささかも退くけはいがない。ただ、「おなかにさ
わらない。」「割合おいしい。」と言うだけで、そのほかを言わず、楽しそうに誘うので
ある。仲良し同士のしつこい会話のかたちで言っているけれど、動かしがたい気もち
を含ませて繰り返し誘っていることは、もはや確実である。私はその誘いに乗りたい。
けれども、それに乘れば、これまでの嘘やとりっくろいは一举にばれる(败露)ことに
なる。だから強情を張った。でも、伸子さんは私よりも少し強かった。微笑と強情と
では、強情が負けるのである。
36.文中の「弁当なしを経験した」とあるが、弁当なしの主な原因は何か。
[A]筆者の家は学校までの距離が遠いので、弁当を作る時間の余裕がないから。
[B]若いとき、筆者の家は生活が貧乏なので、弁当なしになるから。
[C]筆者の母親が病気なので、弁当を作ってくれることができないから。
[D]筆者は朝早く起きられないので、弁当を作る時間の余裕がないから。
37.文中の「三れ」は何を指すか。
[A]登校前の家事雑用 [B] その気持ち
[C]自分の弁当 [D]弟の弁当
38.文中の「そんなこと」とはどういうことか。
[A]朝寝坊をしたこと [B]朝早く起きられないこと
[C] お昼ぬきの空腹のこと [D]登校前の家事雑用が多いこと
39.文中には「うそ返事」とあるが、例えば、とんなうそ返事なのか。
[A] おなかをこわして、何も食べたくない。
[B] お弁当を家に忘れた。
[C]朝早く起きられないので、お弁当が作られなかった。
[D]母親が病気もちの弱い体で、お弁当を作られない。
40.文中の( ア )に入れる会話の文として最も適当なものは次のどれか。
[A]「おなかがすいたの?」 [B]「きょうも食べないの?」
[C]「おなかが痛いの?」 [D]「また、お弁当を忘れたの?」
B.次の文章の下線のついた部分を中国語に识しなさい。(3点×5=15点)
41.多くの社会学者によって、家族はもっとも基本的で根本的な社会の構成要素で
あるとみなされている。その結果、家族についての社会学の知は、すでに完成され、
10/13しっかりとした基礎をもつ、堅固で隙のない理論的構築物であると見なされるように
すらなっている。しかし、実際に家族社会学の文献を検討してみると、必すしもそ之
ではないという印象が得られる。
42.そもそも、家族の定義を行おうと試みる人々の間には、今のところはっきりと
した合意は存在しない。家族社会学が基礎理論を欠いている、という指摘は従来から
なされてきたところであるが、このことは、事実上何を研究しているのかについての
合意が存在しない、ということであるとい元よう。(中略)
家族社会学の家族定義について、いくつかの類型を確認しておこう。
43.まず、第一に舉げられるのが「家族=実在論」派とでも呼公べき立場の人々で、
この人々は家族を特定の特徵を持った小集团、あるいはネットワークとして定義寸る。
今日、家族社会学の理論において主導的な立場に立っているのがこの派の人々である
この類型の論として最も有名なものが、森岡清美のそれである。
44.森岡清美による家族の定義は「家族とは、夫婦·親子·き上うだいなど少数四
近親者を主要な成員とし、成員相互の深い感情的係わりあいで結ばれた、第一次的な
福祉志向の集團である」というものである。この定義は、家族の成員の範囲、相互関
係の種類、家族の機能、家族の集团性、とい54つの点からなっている。
45.この定義がどのように組み立てられているのかについて、検討してみよう。森
岡は、まず「異なる性の少なくとも1組の者が夫婦関係にある」ことを家族関係の与
件(已知条件)であるとする。この夫婦関係はイン七ス蔔·タプ一(禁止近亲结婚)によ
って支えられ、それゆえに家族の他の成員は主に近親者からなっているのだから、親
子、キョウダイの関係におちつく。それらの成員は「非打算的である代わりに、しば
しば合理的判断を拒否し、時には理不尽でさえある」ような「感情的係わりあいで結
ばれているのである」。
Ⅲ.作文(25点)
46.次の指示にしたがって、450~500字の作文を書きなさい。
今、中国では、親は子供の教育を非常に大事にするようになった。「スタートライン
から絶対に負けない!」、「3歳では遅すぎる」という言葉さえ聞かれるようになった。
あなたは早期教育についてどう思うか。あなたの考えを述べなさい。
注意:①自分でテーマをつけること
②漢字を使うべきところは漢字を使うこと
③「だ·である」体で書くこと
11/13第10回模拟试题参考答案
I.基础知识(1分×20题=20分)
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
B C D A A C B D B C
11 12 13 14 15 16 17 18 19 20
B D A A A C B D B C
Ⅱ.阅读理解
A.阅读理解(2分×20题=40分)
21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
D B A A D C B C D A
31 32 33 34 35 36 37 38 39 40
A C B A B D D C A B
B.请将下面文章中划线的句子翻译成汉语。(3分×5题=15分)
41.很多社会学学者将家庭看做是最基本的、根本性的社会构成要素。结果关于家庭的
社会学的知识,被看做是已经很完备的、拥有坚实基础的、坚固无懈可击的理论构
建。但是,实际上当研究家庭社会学的文献的话,就会留下未必如此的印象。
句型重点:…によって…とみなされている、…と見なされるようにすらなって
いる。
42.本来,在尝试为家庭下定义的学者之间,至今还没有达成明确的一致意见。尽管一
直以来都有学者指责家庭社会学是缺乏理论基础的,但实际上可以说围绕(家庭社
会学)是研究什么的并没有达成一致。
句型重点:…ところであるが、…とい元よう。
43.首先,第一个被列举的就是应该被称作"家庭=存在论"派立场的学者们,这些学者
们将家庭定义为带有特定特征的小集团,或者是定义为关系网。今天,在家庭社会
学理论中占据主导地位的就是这一派的学者们。作为这一类型理论最有名的就是森
冈清美的理论。
句型重点:あるいは、…において、…のそれである。
44.森冈清美提出的家庭的定义是,"所谓家庭,是以夫妻、父母子女、兄弟姐妹等少数
12/13近亲者为主要成员的、成员之间被深厚的感情连系在一起的、第一层次的追求幸福
的集团。"这个定义由家庭成员的范围、相互关系的种类、家庭的职能、家庭的集团
性这4点组成。
句型重点:…による…、…を…とし、…というものである、…からなっている。
45.围绕这个定义是如何构成的进行一下讨论吧。森冈首先将“异性的、至少一对的人
是夫妻关系”作为家庭关系的已知条件。这种夫妻关系依靠禁止近亲结婚来支撑,而
且家庭里的其他成员主要由近亲者组成,所以形成了父母子女关系、兄弟姐妹关系。
句型重点:…てみよう、…とする、…によって支えられ、…からなっている。
Ⅲ.作文范文
在中国,由于长期实施独生子女政策,家长非常重视孩子的教育。甚至常能听到“绝
不能输在起跑线上!"“3岁开始就太晚了"的观点。你如何看待早期教育,请陈述你的
想法。
早期教育について
今、中国では、ほとんどの家庭では子供が一人しかいないため、親も祖父母も子供
や孫のことをとても大事にしている。特に教育パパ、教育ママたちは、3歳どころか
0歳から知能教育をはじめ、子供のお尻を叩いて「早く、早く」とその成長を促すよ
うになってきている。
しかし、本当に3歳では遅すぎるのか。1960年代以前は、早熟な子供というのはあ
まり良く言われなかった。「早く熟するというのは早く腐ることだ」などと言われてい
たほどである。今の親は、子供というのはトレーニング次第でいくらでもその能力を
伸ばせるという主張を信じて、なるべく早いうちに子供を塾に行かせて、英語や算数
などの早期教育を受けさせる。確かに今の早期教育法のもとでは、早熟な子供は学校
での成績が良くなるような仕組みにはなっているものの、6歳であれば1 月で党え
られる英単語を、2歳半で半年や1年もかけて覚える必要が本当にあるのだろうか。
子供の成長過程を無視して早熟に育てられた子供には、様々な心理面、成長面での
問題が生じる恐れがある。早期教育の問题点は、促成栽培にもかかわらず、その根が
ないことである。以上のような点から、わたしは小さな子供の早期教育には賛成でき
ないのである。
13/13